MORSE感想

※ネタバレ
※だらだら書きすぎてとりあえず記録用にupしてしまえとやけになったのでまとまりゼロです。


11/17 14時公演のモールスを見てきました。原作未読・映画も未見ネタバレもほぼ見ずに行って、舞台をたった一回見ただけ、パンフレットも買ったけれど、読んでいないまっさらな状態での感想です。日にちもたっているので、ぜんぜんちがうところがあってもやさしくしてください。
できればもう一度観に行きたいなあ。

















なにしろまずはじめにおもったのは、こたきくんでかい!! ってことですね。
さいしょのシーンでオスカーはガラスごしに客席にむかって「何見てんだよ、この豚! 」って何度も叫ぶのですが、2階席から見ていたのもあって、こたきくんの身長がガラスからはみでそうなくらい大きいのです。その後、観劇中もことあるごとに舞台の広さに対しての小瀧くんの大きさを感じました。でも、それが舞台を観劇する上で邪魔になるわけでは全然なくて、身長が高いからこそ、リュックを背負って猫背で歩くオスカーの姿が強調されてとても印象的に見えました。
もうひとつ小瀧くんの身長が生かされているなと思ったのは、お母さんがオスカーに帽子をかぶせてあげるシーン。もちろんお母さんの身長ではオスカーに届かないので、いったん見上げたあと、肩をぐいっとおしてかがませて帽子をかぶせてあげるんです。母のオスカーへの複雑な愛が、あの身長差で表現されているように感じました。

この舞台は、「小瀧くんの」舞台だと思いました。演出がほんとに小瀧くん仕様なんですよね。
「19歳のアイドル」の初主演舞台で、「19歳のアイドル」を見に行くことを否定していないし、むしろ歓迎されているように感じました。
はじめから、肌を見せているシーンではじまるし、ことあるごとに、舞台上で脱いでは着替え脱いでは着替え、その小瀧くんの身体がなんとも美しい。
わたしが見にいった公演では、とび箱を跳んだあとに、短パンの右足のすそがまくれてしまって、内ももがあらわになっていたのですが、その瞬間は正直そこしか見ることができませんでした。クライマックスのプールにもぐる場面でも、勝手に緊張してそわそわすると同時に、水におよぐ金髪がすごくきれいだったのが頭に残っています。
そうやって小瀧くんの身体の語るものの多いこと多いこと。本来の意味とはずれるかもしれませんが、まぎれもなく「身体表現」だなあ、と思いました。

オスカーは、いじめられっこでふだんは同級生から豚と呼ばれている12歳の男の子で、お父さんはゲイで息子のことよりじぶんの恋人との生活がより大切、お母さんは酒びたりで息子であるオスカーに歪んだ愛情をむけています。そんなオスカーは、表向きは弱虫な男の子だけれど、深い闇を抱えていて、万引きに手を染めているし、ナイフを持ち歩いていて、中庭でひとりになっては木にむかってナイフを突き刺してうっぷんを晴らしています。そうなってしまう背景があるとはいえ、どこかしら嫌らしさというか、陰湿な部分を抱えているわけです。そういう部分が垣間見えるたびにくるしくなったのだけど、少年オスカーの無邪気な一面と、183cm19歳で、12歳の見た目からはずっと遠くはなれたアイドルとしての小瀧くんの存在がじんわり混ざり合って、とても不思議な感覚になりました。
エリの美しさが、その身のこなしの軽やかさで表されているとすれば、オスカーの美しさは小瀧くんの裸によって表現されているように思いました。「小瀧くんを見ている」感覚と、「オスカーを見ている」感覚が混ざり合うような不思議な感覚は、小瀧くんがアイドルだからこそ、そして観客としてのわたしが「小瀧望」を知っているからこそのもので、すごくおもしろかったです。

はじめに書いたように、舞台はほとんど裸でガラスの向こう側からこちらにむかって豚!って叫んでいるところからはじまるのですが、この舞台の表現するところを端的に表している、のかもしれません。


モールスの登場人物はみんなどこか狂っていて、ふつうの生活に狂気がまとわりついているように見えました。月並みな感想だけれど、それはわたしたちも同じで、人間はだれだってどこか狂っているんだよなあ、と思いました。
モールスの登場人物たちは、みんななにかに「執着」していて、観劇中あちこちで、ジャニオタをしているじぶんの姿を顧りみさせられるような気持ちになりました。
ホーカンもオスカーも、エリを愛しているという点では一致していますが、ホーカンとエリももしかするとかつては愛しあっていたのではないかと思いました。
エリの「あなたは歳をとりすぎた(うろ覚えです)」というせりふは、かつてふたりはもっとうまく暮らしていたからこそ出るものだろうし、いくらエリがホーカンを疎ましく感じていたとしても、帰ってこないホーカンをわざわざ病院まで探しに行くのはこころの奥底にある愛情からであろうし、オスカーを傷つける本当の悪者を容赦なくやっつけたエリは、実際のところホーカンをやっつけていないのです。
エリは病院でホーカンを殺しますが、あれは、まさに、ホーカンを想っておわりにして「あげた」ように見えました。
エリがホーカンを探しに病院に行ったときに、ホーカンのことを、「パパ」と呼びますが、そう呼んだからこそ、「パパ」なんかではないことが浮き彫りにされたように感じました。

人間は歳をとりますが、エリはずっと軽やかなままで、そのことが、エリのホーカンに対する「あなたは歳をとりすぎた」というせりふにあらわれているように思いました。
また、はじめて出会ったときエリはオスカーに「あなたとは友達になれない」と言いますが、これはオスカーに興味を持ついっぽうで、これまで生きてきた経験から、仲良くなってはいけない、きっといつかバッドエンドが訪れてしまうことを予想して、ブレーキをかけていたのではないかと思うのです。けっきょく、ふたりは仲良くなってしまうのだけれど。

しかし、ラストシーン、エリのねむる大きな箱を携えて電車に揺られるオスカーに、車掌が「随分重そうだね」と声をかけます。それにオスカーは、「見た目ほどじゃないんだ」と答えます。
このかけあいが、オスカーとエリの未来に救いがあることを示唆していたら、いいなあと、おもいました。
ホーカンにとってエリは「天使」で、「全て」で、エリを愛するあまり狂っていたようだったけれど、オスカーにとってのエリは見た目ほど重くない、軽やかに生きるために必要な存在となればいいと、おもいました。エリがエリである限り、ひとの血が流れることから逃れられないという重すぎる事実を脳裏に感じながら。