『風 is a Doll? 』を見てきた

8/5、ふうまくんのソロコンの最終公演に行ってきた。
なんでわたしは今ふうま担してないんだろう。降りるなんて言わなきゃよかった。無責任にそんなふうに思わされるコンサートだった。

感想をなんとかまとめておかなきゃって思うけど、頭の中がほとんどカラッカラに空っぽだ。「ふうま〜(ため息)」にぜんぶがつまってる。

余計なことを言いたくない。
ふうまくんが、そこにいた。
ずっと見ていた、ずっと見たかった、ずっと見ていたいふうまくんだった。

スタンドマイクでバンド背負って歌う横顔とか、風isメンバー従えて踊る姿とか一緒になってふざけあう姿とか、当たり前だけどぜんぶふうまくんの声で聞かされる歌とか、ひとつのコンセプトに沿った世界観とか、そういうものまとめて全てふうまくんが見せたいものなんだなって。ふうまくんはそういうライブを作れる人なんだって知れてうれしかった。かっこよかった。
それから、演者の見せたいものとファンの見たいものが一致するってこんなに幸せなことだった、ってセクゾンに関わる場所で思えたことは一筋の希望だと思った。

とても気持ちよかった。ぶちあがってエモーショナルで、ふうまくんが本当に楽しそうに大きく口を開けて笑うし、ふうまくんらしい青くさくて良いこと言って泣くから、もうど真ん中の当事者からは外れた場所に来てしまったわたしは、その言葉を真正面から受け取ることができないのがとてつもなく悔しかった。終演後の会場の満ち足りた空気が、ふうまくんの発する青春のエモさに染められた雰囲気が忘れられなくてまだ引きずっている。ふうまくんのソロコンは、風isメンバーとスタッフさんとファンとをふうまくんが巻き込んで、ふうまくんがみんなを一個にして作った世界だったのだなあと思う。そんなふうまくんがものすごくかっこよくて、ふうまくんの立っている過去も今も未来もどうにかして信じたくなる最高に熱い夏のTDCホールだった。

ふうまくんのソロコンに立ち会えて本当によかった。
こんな眩しいライブを作り上げるふうまくんからは改めてやっぱりどうにも目が離せない。