(私は私の担降りをやっと受け入れられたかもしれない)

いちばんすきだ、っていう子をじぶんの中で更新してから、ずっと後ろめたさがありました。

はじめて「ジャニーズ」の「アイドル」として好きになった男の子でした。

ステージの上で照明を受け、真っ白に光ってへちゃって笑う顔がすきでした。

カクカクしたヘンなダンスが好きでした。

すごく慎重派で保守的で、それなのにかっこつけたくて、素直じゃないと見せかけて一周回ってわかりやすいところが好きでした。

俺たちのかわいい思春期菊池風磨くんが、今だって大好きです。

だけど、グループが謎の体制になって、5人でシングルを出さなくなって、かといって本人たちも今の体制に満足しているようではなくて、それなのに今の形の正当性を主張されたりして、もやもやした気持ちがたまる一方になりました。

もっとちゃんと宣言して、しっかり言葉どおりの編成にしてくれたら、こんなに濁った気持ちを抱えなくてよかったかもしれません。

それでもいちばんに見たい男の子はずっとふうまくんでした。

どんなにライブがつまらなく感じてもふうまくんの見たい瞬間はたくさんありました。

3枚目のアルバムが発表される前くらいの段階では、前の体制になんとか戻れるんじゃないか、戻ろうとしているんじゃないか、と期待していました。

一時期よりも、聡マリの扱いが上がっているようにも感じていました。

だけど、アルバムの収録曲が発表されてみると、圧倒的に3人の比重が高く、さらにソロ曲が2曲ずつ入っていて、もはや3人組のアルバムでもなかった。

わたしの知っている箱はもうぜんぶどこかにいってしまったのだと思いました。

そこから彼らについて話すと100文句しか出てこなくなって、一方愉快な西の人たちに出会って、それでも降りるほどではないなって思っていたのに、本人にもグループにも直接的には関係のない部分のひょんなことから一気に気持ちがサーッと冷めて担降りを決めました。

だから、わたしの担降りは本当にうしろ向きなもので、もう戻れはしないけれど、じぶんの中でも納得できない部分があって、元担にも現担にも勝手に申し訳ない気持ちがありました。

その一方で、降りて心が軽くなったのは事実で、いつのまにかまた良い距離感で眺めることができるようになったし、むかしみたいにかわいいかわいい言えるようになりました。

それでもやっぱり心のどこかにずっともやもやしたものが残っていました。

だけど、きょうのソロコンおわりのTLの熱狂を見て、嬉しくて嬉しくて、勝手な話ですが、今ならやっと、わたしはわたしの担降りを穏やかに受け入れられる気がしました。

ふうまくんはこんなに誰かを楽しませるコンサートが作れる男の子で、素直にかっこいいと思えました。

ああ、これですね。わたしはふうまくんをちゃんとかっこいいって思えなくなったまま降りてしまって、それが後ろめたかったのだな。

だけど、今日、やっぱりふうまくんはすごくかっこいい男の子だって、超素晴らしいステージが作れるアイドルだって思ったし、いろんな人にそう思われていたし、それがすごく幸せに感じました。

今またふうまくんが大好きだと胸を張って言えて安心しています。長いことものすごく好きだったものを好きだと思えなくなるのはとてつもなくしんどいことです。

わたしがアイドルを見るときに中心に立つ男の子は変わったけれど、ふうまくんはこれからもずっと目が離せない男の子であり続けると思います。

だから、これからもよろしくね。ふうまくんはスッゲーかっこいいよ。